12 月 31 2023

年の瀬に

Published by admin at 9:55 PM under おしらせ

2023年、沢山の方にご配慮いただきありがとうございました。

来年も引き続きよろしくお願いいたします。

 

この12月、僕はカイロプラクターとして、

大きく成長させてくれる締めくくりの月となりました

 

恩師、大先輩D.C.、そして勿論のこと師匠、

各々が各々の形でサポートしてくださいました。

61歳の僕でもまだ伸びれるということを実感。

ただし疑わず素直に話を聞く心構えが無いと

誰も自分の弱点を教えてはくれません!

言い換えれば

「ただ年だけ食った頑固者には救いの手は差し伸べられない!」

それは年齢に関係なく。

自分にとって一目置くことが出来る人がいることはありがたいことです!

 

9月中旬、師匠から電話があり

「僕の患者のさんを紹介するね~」って。

いつもの様に軽~く言われました。

 

今年に入ってからも、

師匠の身内、ミュージシャン等々を紹介していただいています。

ありがたいことですが、かなりのストレス笑。

信じられないでしょうが師匠は

僕のユーチューブなかなか評判良いんだよ!」なんて報告も。

 

僕が師匠から独立し21年以上、

一切目立たず出しゃばらずそして誰と組むことなく、

自分の目指すカイロプラクティック道を突き進んで来ました。

表だったお付き合いをしていないので、

許可なく自称弟子だと語っている人達には

僕と師匠の関係性は信じられないと思います。

 

僕は1986年に師匠と出会い、

1987年、江戸橋治療室から給料をいただき弟子としてスタート。

後にパーマーの後輩となるツインズ達はその頃まだ幼稚園児でした。

 

我先にと師匠に気に入られ良いポジションを掴み取り

一日も早く師匠の技術を完コピーし故郷へ錦を飾る...

それが弟子の王道であり、当たり前の時代でした。

でも、弟子時代の僕は他の先輩達とは明らかに考えが違いました。

 

それはというと

僕は師匠と出会う前に指導者を見誤り

一度大きなつまずきを経験しています。

それ故「早く帰郷し」とか「故郷に錦を飾る」とかは全く眼中になく

それよりもむしろ

「人のコピーではない自分にしかできない治療家に成りたい!!」と、

強く願って東京へ出ました。

だからその当時の諸先輩方の行動が滑稽に見え、

師匠に取り入り完全コピーを成し遂げたとしてもそれは原本ではなく

それは永遠にコピー。それは所詮コピー。 

当時あれだけ上手に技術をコピーされていた先輩達は

38年経ってどうされているのか...。

 

当時の僕は、

将来的に唯一師匠のコピーをコピーとしてではなく

自分のものとして引き継ぐことの出来るのは

僕の胸ぐらいの背丈で黄色い鞄を持った

幼稚園児のツインズしかないと考えていました。

DNAが師匠と同じですからブレずに努力さえすれば

必ず彼らも師匠レベルに成れる。

 

諸先輩達の行動を見てはっきりしたことは、

「僕が目指すものはコピーではなく

 自分にしか出来ないカイロプラクティックを習得したい。」

その為には

DNAと関係しない師匠の治療哲学を学習させてもらい

そしてそれらをベースに師匠が感銘を受けたB.J.、ガンステッド哲学を

師匠が勉強されたダベンポートの地で厳しい環境に耐え掴み取る。

同じ試練を味合わないと本物には近づけない。」

 

弟子になった僅か1年半後の1988年に師匠に暇を頂き、

観光ビザでパーマー大学を目指しました。

あり得ない話でしょ!バカ過ぎます!!

生まれたての娘はまだ1ヶ月、人生を賭けていましたから!

でも、無謀過ぎますよ。

 

観光ビザの英語力しかなく

自動的に留学期間の予定など経たず

ゆっくり進むことしか許されません。

しかしそのお陰で

短期間でストレートで卒業した人達では絶対に学べないD.C.達から

直接教えを乞うことが出来たのが幸運でした。

有名どころのD.C.のトラキセル、先代コックス兄弟、バーンズ、ボベー、

ストラゼスキーetc。

特にトラキセルは師匠の学生時代のパーマー大テクニック部長。

かなり優しくなってはいましたが、同じことが学べるのです!

ありえない話でしょ。

 

だから

師匠の完コピーが出来ない僕が、

師匠のアジャストを求めてやって来る有名人を

仕事で京都滞在中の約一か月間、師匠の代役を務める。

それはもう悪夢でしかない事実!

 

11月終わり師匠から紹介の方がやって来られました。

テレビで拝見するイメージとは180度違い

とても低姿勢な態度で頭を下げられ「宜しくお願い致します」と、

言ってくださいました。

これはなかな初対面の者にとれる態度ではない!

まして僕がどの程度のアジャストが出来るのかわからない状態で

師匠の言葉だけを信じ僕に最大限の敬意を払ってくださる。

紳士です!

「この方に頭を下げさせたことを後悔させたくない!」

ましてや「師匠に恥をかかすわけには行かない」

との思いで最善の努力をするしか無いと腹をくくりました。

 

そして来られてから数週間が経った頃に僕の休日を配慮した席をいただきました。

プレミアが付きの取れない席なのに...。

ご本人よりそれをを頂いた瞬間、僕はやっとホッと出来ました。

 

しかしこれから疲労を伴う後半戦が続きます。

油断は禁物、自惚れなんてもってのほか!

 

そして治療最終日。

深々と頭をさげられ 

「ありがとうございました。

 これからも京都の折にはよろしくお願いします。」と、

頼まれました

 

その言葉を聞き僕は今度は本当に緊張がほぐれ

これで師匠から託された使命は終ったと実感しました。

 

直ちに師匠に電話。

報告完了。と同時にミッション終了。

師匠は嬉しそうに僕に感謝の言葉をかけてくださいましたが、

こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。

 

今回の更新において

師匠や患者さんにご迷惑を掛けられないので

お抱え弁護士(エクスカリバー)の息子から厳重注意され

アドバイスを聞き入れました笑。

人物を特定するのはダメ!あれダメ!これダメ!ダメ、ダメ、ダメ!

よって載せていた写真はすべてアウト!

今回は変わり映えしないシンプルなブログです。

僕はこれでもコンプライアンスを重視しています笑。

一応 医療人ですからね。 

 

結局「誰を治療してたんやねん?」と言われても・・・、

守秘義務がありますから・・・笑。

信頼関係でこの仕事成り立ってますから・・・笑

 

今まで来院されている患者さんや生徒さんは、

一緒に映る写真が治療室にあるので分かってもらえます。

(超有名人なので驚かない様に!)

ご本人が快く「写真を治療室やどこにでも飾ってください!」

とのお言葉をいただいていますから、また見てください。

(くれぐれも勘違いしない様に、師匠の患者さんですからね!)

 

 

 

D.C.に成り26年、カイロプラクターになり39年。

今回の患者さんは僕よりも若いのに

一つのことを志されている経験年数では僕より大先輩。

どんな仕事も山あり谷あり。

辛いことがあるだろうけど志があるから逃げず立ち向かう!

何事も同じだと僕は思います。

 

僕の弟子達、生徒達にいつも言っていることなんですが、

「カイロプラクティックで治したい!」という志を忘れぬ以上

厳しいですが僕がしっかりと支えます。

僕が先輩達に支えてもらったように。

 

 

 

では良い新年をお迎えください。 

 

 

 

Trackback URI | Comments RSS

Leave a Reply